「地図のたのしみ」 堀淳一

本の話

本書は1972年に出版された『地図のたのしみ』の新装新版。本書には1960年代に書かれた「地図」を巡るエッセイが収録されている。今読むと、SLもなくなり、国鉄は民営化され、北海道から急行も寝台特急もなくなってしまい隔世の感がある。掲載されている地図も古くなっており、都市部は相当変わっていると思われる。

管理人が旅にでるときは、スマホの地図アプリGoogleの航空写真を参考にしており、紙の地図を持って行くことはなくなった。紙の地図を持って歩かなくなったせいか、どうも土地勘というか地理感覚が衰えてしまい道を間違えたり、歩く距離が多くなったりと散々な結果になっている。航空写真だとたいした距離に見えないのに、実際に歩いてみる意外と時間がかかることがある。知らない道の10Kmといつも歩く道の10Kmは歩く時間が異なるようだ。

本書を読むと昔の旅はのんびりしていて、列車から景色や地形を楽しむ余裕があったように思う。最近、移動はとにかく時短で、移動中の列車内ではスマホを見ているかカーテンを閉めて寝ている人が多い。有名な場所ではないかぎり、外の景色を見ることが少ないように思う。管理人の場合、良い被写体がないかと窓の外を見ている。特急や新幹線だとスピードが速すぎて、被写体探しは難しいけれども。

 私の旅は、このように地図を眺めてあれこれと想像することから始まることが多い。未知の土地のイメージは地図に限らず、写真集や紀行文、あるいは旅行案内などによっても得られるし、これらの方がまさる場合もあるだろう。しかしこれらはごく限られた場所に対してしか存在しないし、またいかにすぐれたものであっても、否それがすぐれたものであればあるほど、書いた人の主観と選択とが強くおしだされているから、これらをたよりにすれば、どうしても見る箇所もそこへ行く経路も、また見たものの受けとり方も、他人の判断や好みに左右されることになる。地図のありがたいところは、それがすべての場所をもれなく平等に、かつ地物を客観的にあるがままに記載しているために、使う側が全く制限なしに目的地を選び、自由にその土地のイメージを作り、そこでどういうふうに歩いて何を見るかも自由にきめることができる点にある。知らない土地を人にたよらずに思うままに歩きながら、自分の好みにしたがって見たり感じたりするのが、私にとっては旅の最大の楽しみで、そのためには地図が不可欠の、そして最もよい伴侶となるのである。

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