「日本の伝統」 岡本太郎

本の話

岡本太郎がパリにいた頃、ジャン・アルプと芸術論をたたかわしていたとき、アルプは蔵書の中から写真集を取りだしてきた。その写真集はドイツ版の日本庭園の写真集だった。伝統主義的な日本観に嫌悪を感じていた岡本太郎にとって、その写真集は歴史と伝統の暗い重みを負うて息が詰まるものだった。しかし岡本太郎は、どうしても一度自分の目で日本の伝統のありかた本質にふれ、伝統の問題に対決しようと考え帰国した。京都や奈良を訪れた岡本太郎は、奈良に魅力を感じたが京都に幻滅することになる。やがて太平洋戦争が始まり、岡本太郎は徴兵され5年後復員する。復員後、岡本太郎は新しい芸術運動を展開し、再度京都の文化に向き合うことにする。

「伝統とは創造である」の次の章が「縄文土器」で何か唐突な感じがする。次に「光琳」「中世の庭」と続くので、「縄文土器」が余計に際立つ。岡本太郎が縄文の美を再発見したと言われる所以がここにある。以前の日本美術史では縄文土器が取り上げていなかったそうだ。管理人は大徳寺や竜安寺などを何度か訪れたことがあるが、なぜ有名なのかお寺でもらう説明書を読んでもわからなかった。岡本太郎が見たものと同じものを自分も確かに見たはずなのに何か別なもののような感じがした。やはり岡本太郎は優れた芸術家なんだろうと思う。次は「日本再発見」を読む予定で、ここしばらくは岡本太郎と格闘しそうだ。

 つねに主張しているとおり、私は「伝統」を、古い形骸をうち破ることによって、かえってその内容-人間の生命力と可能性を強烈にうちひらき、展開させる、その原動力と考えたい。この言葉を極めて革命的な意味でつかうのです。
因襲と伝統はちがう、伝統はわれわれの生活の中に、仕事の中に生きて来るものでなければならない。現在の生き甲斐から過去を有効的に捉え、価値として再評価する。そのときに、現在の問題として浮かび上ってくるのです。古いものは常に新しい時代に見かえされることによって、つまり、否定的肯定によって価値づけられる。そして伝統になる。従って伝統は過去ではなく現在のものだといえます。
だが今まで「伝統」は、もっぱら封建モラル、閉鎖的な職人ギルド制の中で、むしろ因習的に捉えられて来ました。今日でもほとんど、アカデミックな権威の側の、地位をまもる自己防衛の道具になって、保守的な役割を果たしています。その不毛なペダンチスムに対する憤りから私は『日本の伝統』を書いたのです。それは私の情熱であり、一つの芸術活動だった。

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