「地の底の笑い話」 上野英信

本の話

「追われゆく坑夫たち」が復刊したとき、「地の底の笑い話」も復刊しないかなと思っていたところ、復刊してさっそく購入。本書の初版が1967年で、50年前の版がそのままなのか文字が小さい。というか最近の新書の文字が大きいのでなおさら小さく感じるのかも。挿絵はすべて山本作兵衛さんの画。本書は明治から昭和における炭鉱についての貴重な記録となっていると思う。

当事者にとって「笑い話」といいながら、読んでいるほうからするととても笑えない話ばかりだった。「ケツワリ」の話は、過酷な炭鉱労働からの逃走で、「ケツワリ」が成功したものにとっては「笑い話」や「自慢話」になるかもしれないけれども、失敗したものに凄惨なリンチあるいは死が待っていた。被差別部落に逃げ込んで助けてもらうことが多かったというのは、弱者が弱者を助けて強い者は決して救いの手を差し出さない。

離島にある海底炭鉱からの脱出は、今から見ると冒険譚のように感じられる。離島にある炭鉱の生活が想像以上に過酷で脱出者も多かった。それに対応する経営者側は島全体を支配して脱出者を出さないようにしていたのは驚きだった。

 命からがら落ちのびてゆく地底の流民たちにとって、この広い地上の何処にも安全な隠れ家はなかったのだろうか。いや、けっしてそうではないことを、老炭鉱夫たちの笑い話は教えてくれている。
 ほかでもない、長らくいわれのない差別を受けてきた未解放部落がそれである。筑豊地方には至るところにこのような部落が散在しているが、どれほど多くの人々が部落によって救われているかもしれない。部落へ逃げこみさえすれば大船に乗ったげな気持ちだったといわれるゆえんである。自分はまだ小さくて、そのときのことはなにも記憶にないが、父親が生前よくケツワリの話をするときに、「俺たちがこうして無事一緒に暮らしておられるのも部落の人たちのおかげだ。もしあのとき部落にかくまわれなかったとしたら、こうして親子で暮らすどころか、命もどうなっていたかわからない」といっていた言葉だけは覚えている、と私にしみじみ述懐した者もいる。

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