「老いの荷風」 川本三郎

本の話

管理人は「荷風と東京」から川本三郎さんの著作を読むようになった。「荷風と東京」の刊行から20年以上たつと本書にあり感慨深いものがあった。本書は既出文章と書き下ろしの文章が半々くらいある。このくらい書き下ろしの文章があるなら、全てを書き下ろしの単行本でもよかったのではと思う。既出文章だけではページ数が不足したのか、全てを書き下ろしの単行本にするほどの時間が著者にはなかのかそのへんの事情はわからない。

荷風は空襲で偏奇館を焼け出され各地を転々とした。敗戦後、荷風は市川に移住した。市川市近郊の風景が気に入ったのか、78歳のとき家を購入し独りで暮らす。翌年、自宅で倒れている荷風を通いのお手伝いさんが発見する。妻を亡くし、「独居高齢者」となった著者はそんな荷風の晩年を自分自身を重ねている。昨今荷風関連の本が増えているのは、超高齢社会における「独居高齢者」の増加と関係するかもしれない。独りで晩年をどう過ごすかは切実な問題となってきている。写真家の風間健介さんが腐乱死体で発見されたのを知り、「独居高齢者」予備軍の管理人は明日はわが身という感じを受けた。自分の死は誰が発見するのかと考えても、死んだ人間にはわかるはずはない。

 年を重ねてくると、自分よりはるかに若く逝った作家、たとえば芥川龍之介や三島由紀夫への関心が薄くなってくる。老いを体験していないから。
その点、七十九歳で逝去した荷風は、充分に老いを生きた。作家活動は確かに衰弱したが、それでも七十歳を過ぎてからも筆硯に親しんだし、若い頃と同じようによく町を歩いた。その荷風の老いに興味を持つようになった。しかも、現在、日本では六百万人を超えるという独居高齢者の一人としては、荷風の一人暮らしは次第に他人事におもわれなくなってきた。<中略>
一般には「老人のわびしい一人暮らし」「老人の孤独死」と否定的に語られる老いのなかにむしろ荷風は「哀愁の情味」を見た。
人の世を、早い頃から「老い」の目で見る。現実社会と深く関わらない「老い」の目で、時代を見る。そこに荷風文学の真骨頂があるように思えてならない。
東京散策でも、好んで裏町や陋巷を歩いたのも「老い」の視点ゆえだろう。表通りは、若い人にまかせおけばいい。「老い」の「わたくし」は、奥へ、裏へ、隠れ里へと身を隠してゆく。

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