「暗い時代の人々」 森まゆみ

本の話

前書きを読むとハンナ・アレントの著作から本書のタイトルをとったとある。丸山真男さんの「戦中と戦後の間」もハンナ・アレントの「過去と未来の間」からタイトルをつけたと思った。管理人の中では森まゆみさんとハンナ・アレントとは結びつかなかった。本書はハンナ・アレントの「暗い時代の人々」よりはずっと読みやすく難解さはない。もう少し詳しく書いてもよいのではと思う箇所があった。

本書でいちばん印象に残った人物は、「山宣」の愛称をもつ山本宣治。造園家を志してカナダに留学し、帰国後は生物学を学び京都大学や同志社大学で講師となる。「山宣」は「戦争の生物学」の翻訳の序文をアインシュタインに依頼したり、マーガレット・サンガーの著作を「山峨女史家族制限法批判」として出版する。「産児制限運動」に関わり、社会運動家としても活動する。国策に反する「産児制限講習会」で弁士中止となり、警官によって引き摺り下ろされる。このことにより「京都大学と同志社大学の職を失う。その後は講演会活動を精力的に行い、最初の普通選挙において、労農党から立候補して当選する。議員当選後は三・十五事件の救援活動を行い、全国を遊説する。治安維持法改正に反対し、この頃から右翼に狙われるようになる。1929年3月、右翼団体に属する男に刺され亡くなる。「山宣」を刺した犯人は「偉い人から頼まれた」と言っていたそうだ。山本宣治は病弱な生物学者から社会運動の真っ只中に押し出されたけれども、その姿勢には一貫した考えがあり変わることがなかった。

 家族と写した写真では、山宣はいつもとても楽しそうに笑っている。子供と一緒にピクニックをしたり、子供の髪を割烹着を着て刈り上げたりしている山宣。そこには家父長的な夫の姿はない。妻として対等に遇され、愛された千代もまた幸福な姿を残している。当時としては希有な家庭ではなかったろうか。
 彼の生涯をたどる時、思想や運動の自由が、どのようにして息の根を止められていくのか、その手口がよくわかる。だが、山宣のような政治家はいまいるだろうか。
政治的には無欲なのに、時代の中で政治家に押し出され、専門用語を声高にしゃべらず、いつも大衆のわかる比喩を用い、過激に跳ね上がらず、しかし原則的で妥協せず、常に弱いものの味方であった山本宣治。「今のブルジョワ学者は学問の売り惜しみをするからいけない、僕は学問の大安売り主義だ」と山宣は言った(青柿善一郎の弔辞による)。
わたしが信州の別所温泉で遭遇した山宣の碑には次のように記されていた。

 VITA BREVIS,SCIENTIA LONGA(人生は短く、科学は長い)

 山宣の座右の銘だった。最後の十年の山宣の胸のすくような活動、やっぱり伯母が惚れるような「いい男」である。

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