「ヘンリー・ソロー 野生の学舎」 今福龍太

本の話

今年がヘンリー・ソロー生誕200年ということは本書を読んで知った。昨年出版された本書には生誕199年とあった。管理人が購入した本は初版なのに、帯には「第68回読売文学賞 随筆・紀行賞」とあり、受賞後に帯を付けたのだろうか。管理人は「第68回読売文学賞」で本書を知り購入したので、初版はあまり売れなかったのかも。

管理人はいままでヘンリー・ソローの著作や関連する本を読んだことがなかった。本書を読んで初めて知ることばかりだった。44歳で亡くなったこと。奴隷制度やメキシコへの侵略に抗議し、人頭税の支払いを拒否したため投獄されたこと。ウォールデンには2年あまりしか住んでいなかったこと。定職といえる職業につかず、一生独身だったこと。インディアンの矢尻を収集していたこと等々。

「孤独」と「歩くこと」を愛したヘンリー・ソロー。「孤独」とは普通の意味での孤独ではなかった。一人でいても森の自然から受ける感覚は決して一人ではなかった。「歩くこと」は思索への入り口だった。自分の感覚を大切にして森を歩くことは、本を読むより思想が深まった。本書を読むと「ウォールデン」を読みたくなる。管理人は岩波文庫の「森の生活 ウォールデン」を購入してしまった。いつ読むかはまだわからない。あまり急ぐことはないと思っている。

 人が、生きるための思想を生みだす行動の根幹として「歩く」ことを選び取るとき、そこには、同じ道を歩きつづけた先人たちの存在への想像力がかならずはたらいている。なぜなら、人が歩けば、山野にはかならず踏み跡が刻まれて残るからだ。歩くとは、この先人の歩行の軌跡を調査することにほかならない。どれほど向こう見ずな散歩であっても、すでに自然の上につけられている踏み跡を辿ることを完全に拒否するような散歩はかえって不自然である。ソローはもちろん、すっかり踏み固められてほとんど無意識の通行路となっているような道、すなわち「常識」と呼ばれるものに寄り添って進むことを敢然と拒んだ。だが一方で、心ある先人によってかすかにつけられた野生の小径を発見し、それを辿ることの重要性を、誰よりも深く理解していた。それがかぼそい道であればあるほど、ソローの探究心はかきたてられた。先人の歩行=思考の痕跡として残されたかすかな小径へと踏み込んで行くこと。消え去ろうとしているからこそ大切な智慧を、そこにふたたび見出そうとすること。ここから、彼の野生の学舎のすべての学びははじまるのだった。

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