「たとえ世界が終わっても」 橋本治

本の話

本書は、著者に編集者とライターが話を聞くインタビュー集。前書きによると「喋る本」は初めてだそうだ。「指定難病」という全治の見込みがない病を抱えている老人の著者にとって未来に対する希望は全くなく、残りの人生は消化試合と言い切る。このあたり橋本節炸裂という感じだが、著者はイギリスのEU離脱やトランプ大統領就任に黙っていられなくなった。本書がインタビュー集になったのは、ともとイギリスのEU離脱について書く予定が先延ばしになり、著者の体力もないためと前書きにあった。

本書はイギリスのEU離脱から始まり、アレキサンダーから大航海時代まで話が広がり、さすがにインタビュアが軌道修正する。日本のバブル時代の話になって、担当の若い編集者がバブルを知らないとあり、管理人はそんなもんかと思った。先日、TVのクイズ番組を見ていて「iモード」を知らないタレントさんが多く驚いたけど、「iモード」携帯電話はもう売っていないらしい。そのうち「LINEって何ですか?」という世代が出てくるんだろう。

バブル崩壊後、「実体経済」や「金融経済」という言葉が頻出する。実体のないものは幽霊かと思うが、経済のほうでは金融ということらしい。投資家や投資グループが新聞を賑わし、「空売り」や「つなぎ売り」で株や債権が暴落しても利益を確保するような人たちが尊敬を集める。企業買収がブームになり、誰それはホワイトナイトとかブラックナイトかと噂が飛び交う。話題になった食べ物屋には大行列ができ、バラエティ番組では美味しい店紹介が増え、SNSでは食べ物の写真が溢れている。社会と切り離された「心のない論理」ときれい事ばかりの「心の論理」が蔓延っていると著者は述べている。では、「心がある論理」をもつにはどのようにすれば良いのか。

 まずは日本人が天動説から地動説に戻って、「自分たちが社会のうえに乗っかって動いている」という謙虚な意識を取り戻さないと「心のある論理」は生まれてこない。でもって「心のある論理」を持たないと、「大きなもの」を目指し続けることの限界や、経済の飽和も見えてこないし、実体経済を超えて膨れ上がる金融経済が中身のないバーチャルな幻だということも、理解出来ない。
 ちなみになぜ「心のある論理」で見ないとダメかというと、「欲望」に支配された「心の論理」と違って、「心のある論理」は欲望が論理に入り込むことをあまり認めてくれないんですね。「それをやると論理が歪む」って考えるから。
 ・・・《中略》・・・だから個人の欲望から離れた、「損得に左右されない」論理で、世界や歴史を見つめ直すところからスタートし直すしかない。そういう時間のかけ方が必要なの。それをしないと、お互いに考え方が違う人間たちが、共通の土台の上で議論することは出来なくなる。そういう土台なしには「大きなもの」に変わる次の社会の方向性や、実現のための方法論だって、見えてこないわけじゃないですか。
 私はね、「損得で物事を判断しない」ことを「正義」って呼んでいるんです。
 「正義」っていう言葉をやたらと使いたがる人の「正義」って「自分の好きなあり方」を勝手に正義と呼んでいるだけだから。そうして、自分のあり方を肯定したがっているだけだから。

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