「パリはわが町」 ロジェ・グルニエ

本の話

本書はパリのいろいろな場所や通りにまつわる著者の思い出を綴ったエッセイ集。第二次世界大戦時のパリ解放前後の文章が例外的に長い他は、短い文章が多い。管理人はパリ解放前後の話が一番面白かった。

管理人はパリに行ったことがないので、本書で言及されているパリの住所には全く馴染みがない。たぶんパリに住んでいるひとなら、ああとかあそこかとかになるのだろうけど。

登場人物は有名人ばかりではなく、むしろ無名なひとが多いと思う。フランス文学に精通していない管理人が知らないだけなのかもしれないが。カミュやジュネと交友があったひとがまだ存命しているというのが何か不思議な感じだ。

 すでに女性や無用者たちは立ち退かせて、もうこれでだめかというときに、一台の戦車を戦闘不能にすることができ、もう一台もいなくなった。ドイツ軍は戦いの現場に、死体、捕虜、負傷者、戦利品を満載した車、そして、われわれにもっとも不足している弾薬類を置いていった。われわれは喜びに熱狂した。市庁舎の広場には、血やガソリンがあちこちにたまり、死者が横たわり、何台もの車が放置され、一台のオートバイがひっくり返っていた。われわれの車が走り回って、弾薬ケースを回収し、接収した車を押している。そのあいだも、窓という窓からは、全員が歓喜の叫び声を上げていた。その二時間後、一台のトラックが河岸で制止され、六人が捕虜となり、二人は殺された。わたしは死者の一人を運び込んだ。重かったし、走らなければいけなかった。あいにく、わたしはお歴々をきちんと迎えないといけないと思い、その日の朝、自宅に戻り、明るい色の上着と新しいネクタイに着替えてきたところだった。まったく、とんでもない考えだ。なにしろ、地べたをはうようにして、事務所から事務所へと移動したり、血だらけの死体を運んだりしなくてはいけなかったのだから。

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