「80年代フナバシストーリー」 北井一夫

本の話

本書は「フナバシストーリー」の新版。管理人は初版「フナバシストーリー」を持っていないので相異がわからない。前半写真で後半に文章がある構成。文章は聞き書きというかインタビューが多い。80年代ってついこないだという感じがしていたけれど、写真を見ていると遙か昔の時代になってしまったと思った。船橋には写真を撮りに行ったことがあったけど、団地というより高層マンションが多かったように思う。インタビューも昭和感が強い。下記は中学校の先生の話。

 結婚式にお金かけるわけだよ。だって、それが目的で生きてるんだもん。結婚式が、一生に一度の自己表現になっちゃってる。これしか、自分を表現することないみたいに。それが済んだら後は終わり。それ以外に、人生楽しいことないだろうっていうの子供たちも肌で感じてるから。
 それと、ほとんどの子供が、ブルーカラーは、頭がないから身体を売って労働で稼がなきゃなんない、ああはなりたくないって言うの。頭脳労働というか、デスクに向かってやる仕事が価値があって、身体つかう仕事は貶むっていうのがあると思う。
 それに、貧乏を怖がるね、貧乏は不幸だと思っている、みんな。

当時、著者は船橋に住んで18年になり、写真家になって20年だった。その時、船橋市役所から人口急増都市船橋の新住民の生活を撮影してほしいと依頼があったそうだ。、「記憶の抽斗」には、市役所ロビーの展示以外に写真集を作ろうとしたところどこの出版社にも断られ、六興出版が文章と写真と半々の単行本でどうですかと言われて初版「フナバシストーリー」になったそうだ。船橋の写真集では売れる見込みなかったということか。

 写真を初めて20年、私は40歳になった。見馴れていた、人の生活とその場の風景も変わった。世の中が変化したということだけではなさそうで、人々の生活や、人が物を見る目も見え方も変質していた。
 新しく視界に入り込んできた物たちは、私にとってすぐには馴じみにくくて、目の中に入った異物のようにいつまでたっても棘々しい。今まで20年やってきた私の写真の手法に固執していれば、異物はすぐに逃げ出して、二度と目もむけずに過ぎてしまうのだが、出て行かないで大きく棘々しくなるばかりだった。
 20年やってきた写真を打ち切りたくなっていた。
 変化していくその時代の中の物々に、写真家としての目が対応できていない。という考えが頭を占めていた。疲れてしまったのか、先が見えなくなって休みたかっただけなのか、それとも、時代の移ろいに、人の暮らしに根づいた写真を見失った自分というだけか。とにかく今の私には、何が見えて、何が気に懸かり、何を見ようとしているのか、よくわからないままに、とりあえず視界に入り込んだ異物を見ることから始めようと思った。

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