「こぐこぐ自転車」 伊藤礼

本書は伊藤礼さんの自転車エッセイ集。後半は道東自転車旅行記。著者の自転車エッセイを読んでも、自分で自転車に乗ってみたいと思わないのは不思議なところ。火野正平さんの「こころ旅」を視聴していて、下り坂になると「人生下り坂最高」と喜んでいる火野正平さんの姿を見ると下り坂だけ自転車に乗っても良いかなと思う。でも、下り坂まで自転車で坂を登るのは大変そうだ。本書でも自転車で峠越えする艱難辛苦の様子が散見して自分には無理と感じた。

「碓氷峠攻略をめざした長い一日の話」では、著者が一日目で体調が悪くなり、タクシーで自宅に戻る件を読んで、自転車旅行で途中で具合が悪くなったらどうするのだろうかと思った。まだ大都市近郊なら携帯電話があれば何とかなりそうだが、北海道の峠越えとなると携帯電話が使えないところもあるし、滅多に車が通らないということもある。管理人が炭鉱跡を歩いて、1時間くらい人にも車にも出会わないことはよくある。そんなところでは熊に出会う可能性のほうが高い時期もある。

「北海道自転車旅行の巻」では道東の食堂や宿の話が出てきて参考になった。厚岸の食堂では、牡蠣フライ定食を頼んであまりに牡蠣がまずく付け合わせのキャベツだけでご飯を食べたとか、いくら丼やウニ丼の量に驚いたりと良いこと悪いこと色々書かれている。著者は美幌ではカツカレーを食べた。著者の父伊藤整の旅行記を読むと美幌でカツレツを食べており、親子で似たものを食べたところが面白いと述べている。

著者の「自転車旅行」は「ツーリング」ではなく「サイクリング」でもない。「サイクリング」は比較的短距離かつ短時日の自転車走行を表し、「ツーリング」は時間的に長く、1週間とか10日とか1ヶ月位しかも荷物を積んで力の限り真面目に走るという形態を指し示すと著者は述べている。著者の「自転車旅行」とはどのようなものかを次のよう述べている。

 そこで、私たちの今回の北海道自転車旅行はサイクリングと言うべきかツーリングと言うべきか、ということなのであるが、気分としてはどちらとも言いきれない。サイクリングかと言うと、大久保君などはたまに半ズボンをはくが、会田君の半ズボンは見たことがないから、私たち全体としては、若く健康的で明るいとは言い難いのである。ツーリングという言葉も私たちに鑑みるとぴったりしない。たとえばひとつ走行距離を考えても私たちはツーリングをしていると言いにくい。多くのサイクリストが一日で走りぬいてしまう距離を二日も三日もかけている。近所をママチャリで走っているのとたいして変わらない。足が弱いから距離が伸びないのだ。彼らのがツーリングだとすると私たちのはそうではないのである。生活態度においても、宿屋に着くとすぐ温泉に入り、そのあとビールを飲む。であるから結局のところ私たちのやっているのはサイクリングでもツーリングでもなく、取り立てて言うほどのこともない老人の自転車旅行にすぎないのであって、これが私たちのやっていることの実体であるらしかった。
 ということが分かったのは有益なことであった。私はほっとした。北海道サイクリングだなどと思ったのは間違いだった。私たちはサイクリングとかツーリングという言葉に義理立てをする立場にあるわけではなかった。したがって恥ずかしくないようにこがなければならないということは全くないのであった。気楽にしていて良かったのであった。この発見はなかなか貴重だった。

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