「回想の1960年代」 上村忠男

本の話

本書は、著者が1960年に大学へ入学してから1968年に大学院修士課程を修了するまでの回想録。60年安保闘争に関連する学生運動については割と詳しく述べられている。60年代後半の東大全共闘についての回想があまりないのは、大学院を修了後に著者の妻の実家で「居候生活」をしていたため。本書の後半はグラムシなどイタリア思想の話が多く回想という感じがしない。

著者が参加していた「題名のない」同人誌のグループに中平卓馬がいた。2002年夏、著者は沖縄で東松照明展が開催された際、中平卓馬に再会した。しかしながら、中平は憶えていなかったそうだ。中平卓馬は1977年に昏倒し、一時的に記憶障害・失語症に陥り、その後もその障害が残った。それでも、著者が東松照明展が開催された際に依頼されて、「琉球新報」に寄稿した文章を中平が読んでとても喜んだそうだ。本書に中平卓馬の名が出てくるとは何か不思議な感じがした。

著者が修士論文の執筆に取りかかったとき、学問とは何なのか、世界に学的にかかわるということなのかという問いが湧き起こった。この問いに取り憑かれ、にっちもさっちもいかない状態に陥り、論文をしあげることができなくなった。一から出直すため東京から富山へ移り、「居候生活」を始める。

 哲学は理性的なものを探求しようとする。理性的なものの探求が哲学の使命である。しかし、だからこそ、現実的なものの把握を哲学は任務とするのであって、哲学の任務はもはや神のみがその在処を知るとされる彼岸的なものの定立にはない。そもそも、空虚な理想の典型とされるプラトンの国家論にしてからが、彼が生きた時代のギリシアで現実におこなわれていた倫理ないし人々の生き方をその本質において把握したところから打ち出されたものにほかならなかった。もしわたしたちの意識がいま現に眼前で繰りひろげられている現実を空無なものとみなし、これらの現実を超越したところでこそいっそうよく知力が働くかのようにおもうとしたなら、そのような意識こそ空無のうちにあるものと言わざるをえない。こうヘーゲルは断言するのだった。
ところが、近代ヨーロッパにおける学問の実際はどうであったか。それは民衆のあまたの注目すべき生活史的事実を非合理的であるとして理解の外に追いやってきたのではなかったか。クローチェをはじめとするイタリア知識人たちのファシズム観も、その典型的な一事例である。
ここにはひとつの重大な錯誤があるのではないか。しかも、その錯誤はおそらく学問的認識のあり方自体に由来するものとかんがえないわけにはいかないのではないか。いいかえるなら、わたしたちが学的に世界にむかおうとするさいにおちいらざるをえない理性主義的錯誤-これこそが問題とされるべきではないのか。これは、ひるがえっては、学問的認識のあり方をその起源というか始まりの地点までいまいちどさかのぼって反省しなおしてみる必要があるということにほかならない。ニーチェにならっていうなら、学問の系譜学的反省をくわだてる必要があるのだ・・・。

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