「ゴヤⅢ 巨人の影に」 堀田善衛

本の話

本書は全4巻の3巻目。やっとあと1巻までこぎ着けた感じ。3巻目はスペイン独立戦争が主題となっている。冒頭部分は「裸のマハ」のことが書かれているが、その後は戦争の話題が続く。管理人はゴヤといえば「裸のマハ」・「着衣のマハ」を思い浮かべてしまうので、もう少し詳しく取り上げるのかと思ってしまった。著者の主眼は、「マドリードにおける1808年5月2日」と「マドリードにおける1808年5月3日」にあった。本書では「巨人」がゴヤ作としているが、2009年プラド美術館は「巨人」はゴヤの作ではないと公表した。ゴヤの弟子、アセンシオ・フリアが作者とみられている。

「マドリードにおける1808年5月3日」にいたるまで著者はスペイン独立戦争について詳述する。「人間によって人間の歴史に繰り返されつづけてきた地獄」に入って行かなければならないと著者は述べている。虐殺、強姦、略奪、飢餓などの「戦争の惨禍」は現代でも変わらずにある。人間の本性は、人間を殺すことではないかと思われるほどである。ゴヤの版画集「戦争の惨禍」にある、頭、手足を切断され木に逆吊りされた死体はスペイン人犠牲者なのかスペイン人愛国者にやられたフランス兵なのか。ゴヤが描いたのは、戦争の「結果」である。そして「血みどろの戦争の宿命的結果」は、人間の人間に対する告発として永遠のものである。本当の「戦争の惨禍」は惨憺な戦争の勝利の後に来る。1930年代のスペイン内戦からフランコ独裁政権へいたる状況も見据えている。

 ナポレオンがスペインの百姓と下層人民によるゲリラと、ロシアのクトゥゾフ将軍麾下の軍隊と凍原の百姓たちのパルチザンによって叩き潰されたことの象徴性が、その後の、数々の十九世紀、二十世紀を通じての「戦争によって戦争を営ましめる」式の戦争を経て、最終的には、ベトナム人民の三十年にわたるゲリラ戦争によって受けつがれ、そこでわれわれの国家単位の”現代”が終わることになってもらいたいものであるという、いわば現代終焉願望が、この『戦争の惨禍』をくりかえし眺めていると私は自分のなかに澎湃として湧き起って来てそれを押しとどめることが出来ないのである。おそらく、この秘められたる願望が私をしてこの『ゴヤ』を書かしめている情熱の根源をなすものなのであろう。
帝国主義とデモクラシーが両立し得ないものであることは、すでに十九世紀初頭においてスペイン人民の血によって証明されていたのであった。

本書の終わりに著者は「5月の2日」と「5月の3日」を取り上げる。この2大作はフェルナンド7世のマドリード入城に際して、歓迎アーチの上に掲げるために制作された。「5月の2日」はマドリード人民の蜂起を描き、「5月の3日」はフランス軍による集団処刑を描いている。この二作に描かれているのは、無名の群衆であり、名もない兵士たちである。それまでの戦争画に描かれてきた名のある英雄ではなかった。6年にわたる独立戦争で真に戦い、多くの血を流したのは名もないスペインの民衆であった。ゴヤは民衆の労苦と彼らが受けた惨禍は誰よりも熟知していた。この二作の視点はトルストイやスタンダールに近いものである。

 つまりは、それまでの古典主義的な美と芸術の離婚がここに開始されているという歴史的事実が、この二枚にもっとも明白にあらわれているということでもある。そういう意味では、文学への近接が開始されていると言ってもよいであろう。アンドレ・マルローがそのゴヤ論の結語とした「ここから、現代絵画の幕が切っておとされるのである」という気障な言い方も、その他のことを意味するものではない。
従って、それはまた美術史の折り返し地点であると同時に、ヨーロッパの人間の魂の有り様が全的に変革されてしまう、その時期の開始点でもある。「神は死んだ」とするニーチェも、「我は悪魔なれば、すべて人間的なるもの、我に無縁ならず」とするドストエフスキーも、エミール・ゾラも、またゴヤとの聾兄弟のようなベートーヴェンもまたこの折り返し地点以後の人間である。
それは、ヨーロッパにおいての人間が、人間を見るについての不信から発したリアリズムの時代のあけぼのなのである。それはまた、絶望からの出発でもあったのだ。
この銃殺隊と被処刑者たちの双方を、たとえば神の目から、双方ともをひとしなみの人間、あるいは人類そのものとして見るとするならば、われわれのこの現代なるものが、いわば自殺しながら誕生しているものであることを思い知らされるのである。

69歳になったゴヤは40歳以上年下の愛人と同居することになる。そして愛人は娘を産む。ゴヤが75歳のとき正式な娘の後見人になる。

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