「書生の処世」 荻原魚雷

本の話

母親が腰椎を骨折して入院した為、遠出はできないし長い文章というか厚い本を読む気もしない。そのため短めのエッセイを買い込んで読んでいる次第。本書は『本の雑誌』に掲載された「活字に溺れる者」を加筆修正したもの。どれも4頁のエッセイなので、電車のなかや病院でちょっと読むのに丁度良かった。

荻原魚雷さんの本を読むのが、本書で3冊目。著者はひまがあれば本を読み、ひまがなくても本を読むという活字中毒患者。読んでいる本の範囲がひろく、スポーツ科学、ビジネス書、アメリカンコラム、私小説、アート、ノンフィクション、漫画etc。管理人は漫画喫茶を利用したこともないのでよく分からないが、漫画喫茶を利用する時間もすごいように思う。Kindleを購入した顛末も本書で書かれている。結局、Kindleは漫画専門となったようだ。

本書の「アーティストとしての心得」を読んで、『アート・スプリット』と『アーティストのためのハンドブック』をアマゾンで注文してしまった。自分の好きなことやり続け、それで生計を立てるのは難しい。自分の天分はどこかに眠っているのか。それとも天分なんてないのか。それを見極めるまで続けるしかないのは理解しているがなかなか難しい。管理人も写真家になると会社勤めをやめたのは失敗だったと何回も思ったけれど写真を撮るしかないと踏みとどまっている。そのうちフェイドアウトするかもしれないが。

著者は「書生の処世」について次のように述べている。

 一般に、仕事ができる人というのは、いろいろなことを同時に素早く正確にこなすことができる。世の中には、生まれつき性能がちがうとしかおもえない人はいくらでもいる。
そんな性能のいい人と張り合ってもしょうがない。だけど、才能豊かな人には、仕事が殺到するからひまがない。だったら、彼らにできないこと、やらないこと、できるけどやりたがらないことを探すのもひとつの処世だ。それを考えることが、半人前の第一歩、いや半歩だ。その小さな半歩は人類のごく一部の人にとって大切な半歩になるだろう。半歩ずつでも、道なき道を歩き続けることができれば、いつしか大きな飛躍につながるはずだ。
ただし、新しい道を志そうとする書生の前には、いつだって世間の無理解という名の壁がそびえたっている。
その壁にぶちあたるたびにわたしは梶原一騎の漫画を読む。
-広大な海なくしては塩は採れぬ道理ですね!絶筆となった『男の星座』の中で主人公の梶一太は、大山倍達が世界各地をまわって己の腕を試した空手修行の成果をそう評した。
わたしもこうしてはいられない。
広大な活字の海に溺れながら、悩める書生に自助を促す地の塩になろう。

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