「時間」 堀田善衛

岩波現代文庫の「時間」を札幌の書店で探したところ見つからずネットで購入した。その後も書店の文庫コーナーを見てみたが「時間」はなかった。新刊の文庫が見当たらないというのは奇妙な感じだった。辺見庸さんの「1937」を読んで、「時間」を知り読んだ次第。岩波現代文庫版の解説は辺見庸さん。堀田善衛さんの本を読むのは久しぶりだった。

「時間」は中国知識人の手記のかたちで、南京事件を描いたもの。日本人作家が被害者の視点で中国における日本軍の行動を描くという手法はあまりないと思う。日本軍が近づいきた南京で、漢口に疎開する兄から私は家と財産を守り、できれば増やせと言われる。身重の妻(莫愁)と子供(英武)と南京に留まる私の家(兄の家)へ従妹の楊がやってくる。日本軍に包囲された南京で、一時的に銃砲声が途絶えた時、一家は庭にでてもみじの枯葉を拾う。子供が「お父さん、きれいだねえ」と云う。日本軍が南京城内に侵攻してきた1937年12月13日以後のことは回想として描かれる。日本軍の暴虐を「殺、掠、姦」と表現している。偶然生き残った私は、日本軍将校の従僕になる。妻子とは死別し、楊は消息不明になる。私には諜報員として南京の日本軍の情報を漢口の政府へ無電で知らせる役目があった。最後、楊嬢は私のところに戻り養生する。私はその楊嬢から凄惨なな経験を知る。楊嬢は自殺を図るが辛うじて助かる。私の兄は、地位を悪用して逮捕される。

「時間」は私の思索が主軸になっており、小説らしい記述は少ない。南京の日本軍侵攻以外、私のまわりで起こる事件といえるのは楊嬢の自殺未遂のみ。日本人将校と何か事件を起こすこともなく、諜報員との対立が深刻化することもない。本書が発表されたとき、悪い意味で観念小説という評価があったらしい。辺見庸さんの解説によれば、「時間」はマスコミで大きな話題にならず、世論の攻撃や賞賛もなかったということだ。

著者には「到底筆にも口にも出来ない」南京事件のことを小説に書かなければならなだろうという「不吉な予感」があったらしい。日本軍による暴行が、人間や戦争の残虐性一般として解消されえない。人間の死は、一人一人の死である。死ぬのは、何万人ではない。侵攻してきた日本軍は鬼ではなく、人間だった。人間を鬼畜とする擬人法は「必ずや人々の判断を誤り、眼を曇らせるであろう」。人間がどこまで残虐な行為を行い、そして人間はそのような行為に耐えうるかを見据える視点をもつことが作家には何よりも必要だった。

 人間の存在を意識するとは、結局、その条件がいかに受け容れ難いものであるかということを、知ることではないか。見殺しに、しなければならぬことがある。しかし、だからと云ってわれわれはあらゆる悲惨事のとりこになってしまうことはない筈だ。わたしが、眼を蔽いたくなるほどの悲惨事や、どぎつい事柄ばかりをこの日記にしるしているのは、人間が極悪な経験にどのぐらい堪えうるか、人間はどんなものか、ということを、痛苦の去らぬうちに確認してみたいがためにほかならない。時間がたったならば、わたしとてけろりと忘れてしまわぬとは限らないのだ。だから口にこそ云わぬが、毎時毎分、わたしは黒々としたニヒリズムと無限定な希望とのあいだを、往復去来しているということになろう。希望の方は、希望する義務があると確信するから、だから漸くにして持ち得ているのである。『にもかかわらず』というのがわたしの口に出来るたった一つのことばだろう。しかし、そうは云っても、わたしはわたしがペシミストであるとは、決して思っていない。希望は、ニヒリズムと同じほどに、担うに重い荷物なのだ。われわれは死ぬまでこの荷物を担ってゆく義務がある、とそう思っているのだ。云い換えれば、希望にも堪えてゆかねばならないということだ。しかし、誰が、何が、いったいわたしにそんな義務を課したのか。神か歴史か、わたし自身は、神でもない歴史でもない、わたしがそういう義務を、このわたしに課したのだ、わたしがその義務を創ったのだ、と云いきりたい気がする、けれども、いま「わたしが」というとき、わたしは、たとえば肩に、何か超絶的なものが軽く触れたような、ある種の戦慄を感じる・・・。

関連記事