「書痴、戦時下の美術書を読む」 青木茂

本の話

ジュンク堂札幌店で、「『戦争と美術』フェア」(だったと思う)があり、面白そうな題名だったので購入。他に「絵筆のナショナリズム」も購入した。本書は最近出た本かと思ったが、奥付に2006年初版第一刷とあった。10年近く書棚に並んでいたのか、第一刷だけで出版社に残っていたのか不明。

本書は、同人誌『一寸』に連載した「舞文」24編を収めたもの。同人は美術書についての「書痴」で、東京古書会館の古書展へなるべく毎週通う個人のグループ。管理人のような門外漢が本書について何か書くというのも恥ずかしい限りで、いちおう自分のための読書メモという感じ。本書には夥しい美術書が紹介されているが、見たことも読んだことがないものばかり。唯一、読んだことがあったのは、木下長宏さんの「岡倉天心」だった。それでも本書は面白く読めた。

管理人が面白く読めたのは、本そのものというよりそれに纏わるエピソード。画家茨木猪之吉は友人と石工を連れて昭和17年12月8日に上河内に入り、ウェストンのレリーフを取り外した。茨木猪之吉たちはレリーフを背負って里に下り、レリーフは東京で匿われた。戦後、レリーフは上河内に戻された。毎年上高地にあるウェストンのレリーフの前では、山開きの「ウェストン祭」が開催される。以前登山で何度も上高地に行ったけれども、ウェストンのレリーフにこんなエピソードがあったとは知らなかった。茨木猪之吉は昭和19年10月2日に涸沢から穂高へ向かい、穂高山荘から白出沢へ下っていった以降消息不明となっている。

美術書紹介の合間には、現代の美術史家や博物館・美術館に対する鋭い批判が見られる。最近の美術館は、学校の夏休み期間になるとテーマパークのような様相になる。日本の博物館・美術館が「いかに安くいかに入場者を多くといった方向に、ジャリの遊園地化に進もうとしている」と著者は嘆いている。美術史研究者もデータベースの検索や画像データを中心にしていては「作品に込められた作者と時代の息吹きを知感する」ことはできない。「作品を自蔵する思いで熟覧する以外に作品を理解することはできない」と著者は述べている。

 僕は別に読者の憐れみを乞うているのではない、家族の冷眼蔑視に耐える鎧の着用法などは先刻即応できるようになっている。ましてや若い学芸員が憐愍の情をたたえた眼差しで僕を見ようと努力しているのを横目で伺うのは、僕のよろこびなのである。僕たちの-ではない、僕の研究や調査がいかに的はずれな方向に真剣にそれて行き、いかに近隣に迷惑を掛けるかは、読者が先刻ご承知のはずである。<中略>僕らの生涯がしあわせ一杯にメデタシメデタシで終わるものかどうか。誰でもがひとたび何かを調査研究しようと志したら、その日から手枷足枷金枷の蜘蛛の網にかかったと思ったがいい。心地よい浮世の湯に浸って何かが講釈できると思うのはただの阿呆か許された天才だけなのである-日本近代美術史の研究者にまだ天才は現れていない。僕たちは衆人蔑視の中で貧しい裸身をさらし、湯から寒い憂き世に出るよりないそして小さい石を積むよりない。

新着記事

TOP