まずたしからしさの世界をすてろ-中平卓馬さん死去

日誌

時代の感覚を鋭く捉えた作品で知られる写真家の中平卓馬(なかひら・たくま)さんが1日、肺炎のため横浜市の病院で死去した。77歳。葬儀は近親者で営む。後日、お別れ会を開く予定。

東京外国語大で学んだ。雑誌「現代の眼」編集部を経て、1960年代半ばから写真を撮り始めた。68年、写真同人誌「プロヴォーク」を高梨豊さんらと創刊。70年には写真集「来たるべき言葉のために」を出版し、粗い粒子とぶれ、ピントのぼけなど「アレ・ブレ・ボケ」を特徴とした詩的なモノクロ写真が同時代に影響を与えた。(毎日新聞webより)

中平卓馬さんが亡くなった。雑誌でNew F-1に100mmマクロで撮影している中平さんを見て、管理人も真似をして100mmマクロでスナップを撮りだした。「PEARL LIGHT OF REVOLUTION」の番屋の画像は、全て100mmマクロで撮影したもの。“「言葉のひと」だった中平卓馬が昏倒し、一時的に記憶障害・失語症に陥って言葉を失ったとき、本当の意味で写真家となった”と以前のエントリーに書いたように、中平さんはモノクロとは決別し、カラー写真ばかりを撮るようになった。「言葉のひと」だった頃の文章を引用する。

カメラは世界をトータルにとらえることはできない。それにできるのはたかだか眼前に生起するばらばらの現象、全体との関係すらさだかでない羅列的な現実をただそれだけのものとして記録することでしかない。しかしそれはまさしく眼前の現象であるが故に、眼で確認できる現実の断片であるが故に、それだけのものとしてのリアリティをもつことができるのだ。ちょうどゲバラの、行動を媒介にした、限られた有効性をしか望まなかった言葉の断片が、そのリアリティの故にぼくたちを強くうつように。
くり返しになるが、写真家はすでにある言葉、ア・プリオリに捕獲された世界の意味を図解する者ではない。なぜならぼくたちにとって真に現実であるものは、それらの概念となった言葉から抜け落ち、命名を拒否する何ものかであるからだ。写真家は音をたてて瓦解してしまった世界をはりつめた凝視の中でさしあたってこれだけは真実だと確信する、<特殊な><限定づきの>現実をいくつもいくつも積みあげてゆき、世界の再構成を夢想するロマンティストなのだ。だから一枚の写真はもはや表現ではない。それはすべての形容詞を拒絶してぼくたちに問いを発し続ける一つの疑問形の現実なのだ。この時、それを記録した写真家は姿を消す。あるいは写真は本来的にアノニマスなものかもしれない。(『デザイン』1969年1月号)

ご冥福をお祈りいたします。

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