「逝きし世の面影」 渡辺京二

本の話

 私の意図するのは古きよき日本の愛惜でもなければ、それへの追慕でもない。私の意図はただ、ひとつの滅んだ文明の諸相を追体験することにある。外国人のあるいは感激や錯覚で歪んでいるかもしれぬ記録を通じてこそ、古い日本の奇妙な特性がいきいきと浮かんで来るのだと私はいいたい。そしてさらに、われわれの近代の意味は、そのような文明の実態とその解体の実相をつかむことなしには、けっして解き明かせないだろうといいたい。

ジュンク堂を徘徊していて平凡社ライブラリーの棚に「逝きし世の面影」が10冊ほど並んでおり、これは面白い本なのだろうと思い購入。第1章のサイードをイスラム知識人として「オリエンタリズム」批判をしいている箇所は管理人にとって違和感があった。サイードをイスラム知識人というのを読んだのは初めてだった。小さい文字で約580頁になる大冊だが、内容はそれ程難しくないので読むのに苦労するということはない。そのせいかweb上に書評・感想は沢山あった。

「逝きし世の面影」は日本人必読の名著(本の帯に書いてあった)らしいので、いまさら管理人が内容の紹介をする必要もないと思うので読んだ感想をかいてみる。どんなに著者が過去の美しい日本への愛惜・追慕でないと強調しても、本書を読んだ後に感じるのは古きよき日本への礼賛しかなかった。本書を読みながら思い出したのは、ある批評家が「歴史とは母親が死んだ子供を思い出すようなもの」という言葉だった。

解説によると、石原慎太郎が本書を激賞したというのも頷けるはなしだ。ポストモダンやポストコロニアリズムという言説が嫌いなひとには本書は受けが良いのだと思う。管理人がweb上でみた書評・感想で本書を真っ向から否定しているのは小谷野敦だけだった。”日本人”必読の名著と言われること自体が著者の意図に反しているのではないかと思う。日本人必読かどうかはわからないが、読んで面白い本なのは確かだ。(文中敬称略)

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