「街場の憂国会議」 内田樹編

本の話

まえがきに本書は、「特定秘密保護法の成立を民主制の危機と受け止めた論者たちによる現状分析の本である」と書かれている。執筆者は、内田樹、小田嶋隆、想田和弘、高橋源一郎、中島岳志、中野晃一、平川克美、孫崎享、鷲田清一の各氏。管理人にとっては2冊目のアンソロジー。本書は「日本の反知性主義」より前に出版されていて、読む順序が逆になってしまった。

現在、安保法案を巡る国会審議で大変な状況で、どこまで行くのか安倍首相とそのお友達という感じだ。世論調査の個別の案件では、反対する人が多いのに、なぜか内閣支持率だけは極端には下がらないという「ねじれ」現象が起こっている。小選挙区では死票が増える傾向があり、各党の得票数にさほど差がなくとも当選議員数の差が大きくなる。それは英国のサッチャー政権が長く続いた要因のひとつだった。選挙の投票率が下がり、1票の格差が広がりことにより、全体の獲得得票が20%未満でも選挙で自民党の圧勝という結果になる。沈黙は消極的賛成ということで、投票に行かないひとは内閣を支持しているということなのだろうか。

管理人が本書で面白く読んだのは小田嶋隆さんと高橋源一郎さんの論考だった。安倍内閣に対する批判が多いが、内閣支持率がそこそこあるのは、それを支持するひとたちに問題あるのではないか。安倍内閣の「気分」とか「空気」を感じ取って「忖度」するメディアが多く、そのような「気分」とか「空気」はメディアを通じて伝播していく。安倍首相は、話の筋道や事の理非正邪よりも自身の気分を重視する傾向がある。安倍シンパのコアの部分を形成しているのは「ネトウヨ」と呼ばれる人々で、「ネトウヨ」は安倍首相が発信する「気分」に感応していると小田嶋隆さんは述べている。

ネトウヨは、安倍政権の最大の特徴である「気分」を体現した支持層で、分析する側からすると、相手が「気分」である時点で、お手上げな存在でもある。
「気分」で動く彼らは、何かコトが起こると、一斉に同じ方向に向けて動き出す。そして、その軽忽な行動力と機敏な同調性が、結果として彼らの力の源泉になっている。
ということになると、この無思慮さは、当面、無敵だ。
・・・昨年の夏あたりから、総合週刊誌が先を争うようにして嫌韓・嫌中の特集企画を連発するようになったのは、その種の企画が新規の読者を誘引することが明らかになっているからのだが、このことは、ついこのあいだまでは言葉のアヤにしか見えなかったネトウヨが、現実の市場を獲得しつつあることを物語っている。どうやら、彼らの「気分」は、時代の「気分」として、より巨大な影響力を獲得するフェーズに突入しているのだ。
大切なのは、個々のネトウヨの歴史観や思想がどんなに幼稚でバラバラであっても、彼らがその時々の時事ネタに対して、一斉に同じ「気分」を抱くと、少なくともそのピンポイントの時点においては、無視できない集団的圧力を生じさせることだ。
しかも、ネット上の掲示板やSNSにぶら下がることで、あらかじめ「共感」のスイッチを手にしている彼らは、リーダー無しで同期できる、ある種の鳥の群れみたいな自立性を備えている。

安倍政権において、歴史認識が軽々しくうち捨てられ、頻繁に改変され何度も物議を醸すのは、政権の中の人々が共有しているのが、歴史認識や大局をみた政策ではなく、歴史に対する「気分」に過ぎないからだ。憲法に関しても、当面改憲が難しいと見るや、「解釈改憲」に方針を転換してしまう。安倍首相は何かに追い立てられるように、様々な政策課題について、あまり吟味もせずただただ急いで結論をだそうとする。「スピード感を持って」というのが政権の中の人々の合い言葉になっている。このような時代の気分を変えるのは「蝸牛の歩み」ようなスピードなるかもしれない。

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