「日本戦後史論」 白井聡・内田樹

本の話

本書は内田樹さんと白井聡さんの戦後を巡る対談を纏めたもの。アメリカと日本との関係を軸とした戦後史が主題となっているが、安倍首相についての言及が多い。対談ということもあってスラスラ読めた。注や参考文献などがあればよかったと思う。

内田樹さんの本は、アマゾンのカスタマーレビューが多い。最近読んだ「アウトサイダー・アート入門」はカスタマーレビューがいまだに無い。カスタマーレビューが多いのは、内田さんの本が読みやすいためか、内田さんを批判すると注目されやすいためなのかよくわからないけれども。本書のカスタマーレビューのなかに、直観的な洞察が多いというのがあったが、確かに論拠となる文献や資料を例示することが少ない。

戦後の日米関係において、冷戦後も「対米従属による対米自立」路線を踏襲するのはなぜか。ワシントンの意思を忖度するのが日本の統治機構のトップの仕事になり、ビジネスや学術の世界でも「アメリカではこういうのが流行っています。これからアメリカはこうなります。アメリカは今こう考えています」という言述が権力に結びついた。自分の意見は誰も聞いてくれないが、アメリカの国家意思であるという「虎の威」を借りると人々が傾聴してくれる。

 東西冷戦構造が解体して、世界が液状化したことによって今まで日本人が使ってきた「ワシントンの大御心」を忖度するという戦略が機能しなくなってしまっている。そのせいで、日本の外交は右往左往している。アメリカだって複雑な外交戦略を展開しているわけですけれど、その複雑な変数を処理できるだけの演算能力がもう当のアメリカにもない。それを眺めて、アメリカの後追いだけをしている日本政府には世界の「現場」で何をおきているのかを自力で吟味して、自力で対応策を起案するような知力がもうなくなっている。

本書で興味深かったのは、安倍首相が優しくて、人の話をよく聞いて、穏やかなとてもいい人と書かれていたこと。国会で首相の回答で野党から「人の話を聞いているんですか」などと言われたり、質疑と関係なく「日教組」とやじる首相から「人の話をよく聞く」というのは想像できなかった。TVで見る首相は、政治家としての鎧を纏っているのだろう。首相は「おじいちゃん」に言及することがあっても、「お父さん」のことは殆ど話題にしないと本書にあり、確かに「お父さん」のことをあまり聞いたことがない。

 かつての「対米従属を通じての対米自立」は一人の人間の中に面従腹背という葛藤を呼び込んだ。だから、言うことがわかりにくいものになった。でも安倍さんは違う。「対米従属」と「アメリカが嫌がることをする権利」がバーター交換されている。問題は、従属の代償に受け取るのは「アメリカが嫌がることをする権利」であって、日本の国益ではないということです。靖国参拝なんて、日本の国益と何の関係もない。参拝支持者たちが言うように私的な宗教儀礼にすぎない。「対米従属」は端的に日本の国益を削って、差し出すということです。それと引き替えに手に入れるものは私的な宗教感情の充足である。本来なら国益と国益のトレードのレベルでの話であったものが、国益と私益のトレードの次元に移動している。だからこそ、葛藤がないんです。日本が何かを失って、その代わりに安倍晋三個人が何かを得るという構図ですから、葛藤のしようがない。僕が人格乖離というのはそのような状態のことです。だからたしかに安倍さんには葛藤がない。それを国民たちは見て「すっきりした人だ」と思って、ある種の爽快感を覚える。奇怪な風景です。

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