「一神教と国家」 内田樹・中田考

本の話

利尻へ行った際、持って行った本を読んでしまい、帰りの列車で読む本ということで稚内の書店にて本書を購入。昔読んだSFにしようかと思ったけど、国際情勢のコーナーの真ん中に本書があったのでそれじゃ読んでみようとなった次第。本書は対談がメインで、始めに内田先生の序があり、最後に中田先生による補遺と跋がある。先生という呼称は、本書のなかで中田先生と内田先生と呼ばれているので使わせてもらった。ちなみに管理人は両著者に学んだことはない。

中東情勢の本を読んでも、それぞれの宗派と政治組織の関係が複雑(のように見える)で変化が早く、よくわからないことが多い。宗教と国家という場合、西欧型国民国家では政教分離が原則となっているのに対して、イスラーム圏の国々では政教一致であり「神」の教えがそのまま国の指針となる。サウジアラビアやアラブ首長国連邦等の原油産出で裕福な国では、世俗主義的がかなり進んでいる。オスマン帝国崩壊後、トルコは西欧のシステムを取り入れ、伝統的なイスラームの在り方を捨てた。

 周辺のイスラーム国家も同断で、その後占領支配から独立していく中で、それぞれ『シェーン』よろしくちまちまと柵を作ってお互いの権益を守り、相互不可侵を建て前とするようになりました。イスラーム圏全体を統括するリーダーがいなくなったので、かつてあったネットワークや越境性、共生の感覚、施しの精神といったものもうまく発揮されず、国家間、派閥間の争いや貧富の差ばかりが助長されることになったのです。その結果として、今の混乱や内戦があるのです。

内田先生は「ありものの使い回し主義者」で「解体しつつある国民国家」をどうやって使い延ばすか喫緊の政治課題ととらえるのにたいして、中田先生は国民国家・領邦国家こそ「諸悪の根源」という立場。管理人は内田先生の立場で、「カリフ制の再興」には違和感を覚える。イスラーム圏に独裁制国家が多く出現するのは、政教分離していないためではないかとイスラーム素人の管理人は思う。中田先生によれば、政教分離していないのは西欧国家ということだが。イスラーム圏の国家指導者がみな中田先生のように考えることができれば別の話になると思う。

 イスラームの聖典『クルアーン』には、この書は畏怖する者にとっての導きである、と書かれています。『クルアーン』から導きを得ることができる者は、絶対的な他なる者、謎への畏怖の念を抱くことができる者だけです。教師の役目は「子供」に対して謎を体現し、未知なる世界、恐ろしいと同時に魅了し、畏怖と共に憧憬の対象となるような絶対他者の顕現の先触れとなることです。だからイスラーム学の教師としての私の役目は、絶対他者のメッセージである『クルアーン』を正しく読み解くことができるように、学びのトリガーとなる好奇心、絶対他者への畏怖と憧憬を生徒の心に呼び起こす「謎」となることでした。

TOP