あの頃は清志郎がいた

日誌
清志郎の命日

5月2日は忌野清志郎の命日ということで、TVで関連する番組が放送される。昨日(というか今日)は、「忌野清志郎、ゴッホを見に行く」の再放送を見た。清志郎にとって、ゴッホとジミヘンがスーパースターと言うことだった。だけど、番組中では「ミレーのほうが良いですね」と言っていた。

シングルマン

管理人がRCサクセションを知ったのは「シングルマン」が廃盤なった頃だった。RCサクセションのファンの人達が廃盤阻止活動しているのを知ったのがきっかけだった。それまでブリティッシュハード・ロックやプログレシブ・ロックばかり聴いていた。70年代後半にはそんなロックがジリ貧になり、文字通りパンクでロックがパンクし、エアロスミスからジョー・ペリーが脱退etc。
そんな時、地味な3人組だったRCサクセションがど派手な衣装とメイクでロックバンドとして再登場。RCサクセションといえば「僕の好きな先生」だけは知っていた。当時「シングルマン」は廃盤になっており入手困難。「頭脳警察1st」と「シングルマン」は管理人にとって幻のレコードだった。

ラプソディ

「オーケー、カモン、リンコワッショー」とチャボのかけ声で始まる「ラプソディ」は管理人が一番好きなアルバム。「スローバラード」の小川銀次のギターソロは泣けた。「ラプソディ」以降のRCサクセションは暗黒時代が嘘のような人気がでて、武道館でライヴを行うまでになった。
札幌にもRCサクセションが来るようになり、札幌市民会館で管理人は初めてライヴを見た。そのライヴの最後、清志郎は身につけていたアクセサリーをあっちこっちに放り投げた。その一つが管理人のもとに落ちたので、素早く拾って家に持ち帰った。その腕輪?はものすごく汗臭かった。

カバーズ

そんなRCサクセションも「カバーズ」以降はギクシャクしだし、とうとうG2と新井田耕造が脱退。東京で観たライヴでは、ドラムが春日博文(カルメン・マキ&OZのギター)だったので驚いた。その後、RCサクセションは無期限活動停止。清志郎とチャボはソロ活動を継続。小林和生は左官屋さんになったという話を聞いたけどよくわからなかった。
管理人はやっぱりRCサクセションのころの忌野清志郎が好きだ。ソロになってからもCDは購入していたけど、あの頃のようなに熱心に聴くこともなくなった。泉谷しげるが昔「どうせおまえら年取ったら、演歌を聴くんだろう」と言っていたけど、さすがに演歌は聴かないけど昔の曲ばかり聴くのは年老いた為だなと感じる。なにせ新しい曲は、頭に入らないというか憶えられない。まあそれもしかたがないと思う。

喉頭癌

清志郎が喉頭癌になったとき、歌えなくなるため癌摘出手術をしなかった。歌うことができなくなることは、清志郎にとって「死」を意味したのかもしれない。歌うことが生きることであり、生きるとは歌うことだった。RCサクセションを聴いているとそんな感じがする。

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