「容赦なき戦争」 ジョン・W・ダワー

本の話

本書は『敗北を抱きしめて』に先行して出版され、対象となる時代も1941年から1945年である。著者の日米戦争研究の意図は、敗戦後の日米間の関係はそれ以前の憎悪と暴力がどれ程のものだったかを理解することなしには正しく評価できないと考えたことと現代の戦争それ自体の本質を洞察することができることを期待したものだった。平凡社ライブラリー版への序文は同時多発テロの状況を踏まえて書かれている。

本書を読むと人種主義の根深さを痛感させられる。戦時のアメリカでは、「良いドイツ人と悪いドイツ人」とを区別しヒトラーとナチ党員は「悪いドイツ人」として誹謗された。それに対して日本人は民族総体として忌み嫌われ、人間以下の取り扱いだった。当時の雑誌に登場する日本人のイラストは目がつり上がり眼鏡を掛けた小柄な猿が多い。市民権を持っている日系アメリカ人でさえ強制収容所入れられた。米国在住のドイツ人やイタリア人は、日系人のように強制収容所に入れられることはなかった。

アングロサクソン系白人が皮膚の色が違う民族を人間以下の動物と見なすのは、コロンブスの大航海時代にも現れているレトリックだった。本書で引用されている16世紀のスペイン人がインディオについて書いた表現は、戦時下のアメリカで日本人について書かれた表現と驚くほど似ている。

 われわれは歴史上のもの現代のものを問わず、似たような手品をすることができる-「日本人」を、他の人種や国民とだけではなく、非キリスト教徒、女性、下層階級、犯罪的な分子といったものと差し換えることができる。これは単なる手品師のトリックではない。むしろ何世紀にもわたり、男性優先の西洋のエリート連中がになってきた、他の人々を認識し扱うための基本的カテゴリーを示している。獣のしるしのように原始人、子供、精神的、情緒的に欠陥のある敵というカテゴリー-第二次世界大戦中はとりわけ日本人に当てはまると思われ、新しい知的な解明も当然、日本人の特有のものと見なされたが-は、つまり西洋の意識に記号化された基本的には決まりきった概念であり、日本人専用のものでは決してなかったのである。

第二次世界大戦後、日本はアメリカの同盟国という立場になっていった。本書の最終章では、日米貿易摩擦におけるレトリックを取り上げいる。本書が書かれた当時は、日本の経済成長が著しく、アメリカの経済上の強敵として日本が再登場することになった。「ジャパンアズナンバーワン」や「ジャパン・パッシング」という言葉が流行した。この頃雑誌に登場する日本人はやはり「歯が出て、つり上がった目に眼鏡をかけ、首からカメラをぶら下げている」背広姿の小柄な人物だった。日本人から見ると中国人と間違えているように思えるが、白人にとっては日本人も中国人も黄色人種に変わりはないという感じであった。

 両国とも愛国的な怒りを儀式のように再演している。たとえばアメリカ人は、たいてい真珠湾攻撃の記念日を、日本人の背信を思い起こさせる機会として用いる。広島は、近代戦争の恐怖の重要なシンボルであり続けているが、何人かの日本人にとっては、広島や長崎で死んだ人々の記念式典も-時がたつにつれてますます-大和民族が長いこと耐えるよう求められてきた受難を、国民に思い出させる役割を果たしている。政治家やマスメディアが過去を愛国的に用いる小さな事例は、いたるところに見られる。すなわち味方の高い理想と英雄的な犠牲に対する歓呼の声として、また敵方の暴力とダブル・スタンダードを思い起こさせたり再現させたりするものとして。『汝の敵を知れ』や『桃太郎・海の神兵』といった戦時中の典型的なプロパカンダ映画が再発見され、それぞれの国で再上映されたのはこのような状況においてだった-過去を理解するための最高の情報源であったことは確かだが、人によっては「良い戦争」を思い出す好機でもあった。

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