「風に運ばれた道」 西江雅之

本の話

書店に入って文化人類学のコーナーを彷徨いていたら、本書が目についた。本書は以前に読んだような気がしたが構わず購入した。最後まで読んでも記憶があやふやだった。blogが読書録の代わりだったのに、以前のblogはデータを消してしまい確かめる術がない。

西江さんの旅のエッセイは面白い。西江さんの旅は南方指向で赤道付近の国々が多い。本書も与那国島から始まり、東アフリカ、インド洋、カリブ海、ニューカレドニア、ハワイと続き、最後は西表島で終わっている。例外なのはスペインのアンダルシアか。

 見知らぬ土地から風が、”物”と”事”を送り届ける。人びとがエンジンの力を借りて陸と海と空を移動するようになったのはわずか100年そこそこのことでしかない。1900年代に入るまでの事物の移動の長い歴史は、陸では人間やラクダや牛馬などの脚の力に支えられていた。水の上では、櫓を漕ぐ人間の腕の力もあったが、大部分は風の力に頼っていた。そして空の道は、人びとの頭のなかに憧れとして描かれていたにすぎなかった。

与那国島を訪れた著者に他所から来た若者が旅の目的を尋ねる。島の自然や島民の生活を見に来たと著者は答えるがその若者は興味を示さなかった。若者はダイビングで海に潜ることで満足している。著者がハワイで出会った若い人たちも「麻雀をしにきた」という。

 いくつもの政治的な仕切りを越え、物理的には大変な距離を移動したとしても、当人の心は何も変わらない。一定の空間を越えたからといって、異なった土地に来てしまったという気持ちになれるものでもないらしい。そこは、身を置けど接せずという異郷である。どこに行っても、自分の世界住んでいられる。これは現代病の一種として、”開放性自閉症”とわたしが勝手に名付けたたものなのか、それとも一方的国際性と言うべきものなのか判断に迷う。

いつだったかのサッカーW杯のフランス代表の試合を観戦した大統領が「本当にフランス代表の試合なのか」と言ったという報道があった。代表のほとんどがフランスの海外県の出身者で、肌の色が黒い選手ばかりだったためらしい。アメリカのフロリダ北端から南米のヴェネズエラの東部沿岸にかけて、夥しい島がある。著者は言語調査で年に一度は訪れる場所となっていた。キューバ、ジャマイカ、プエルト・リコ、ハイチとドミニカ共和国。われわれがもつイメージは陽気で楽しい音楽と美しい海。しかし、実際には、この地域は世界の地獄と呼ぶべき所でもあったと著者は述べている。

 先住民である島民は、インディオと名づけられた。そして急激な白人人口の増加の過程で、住民がほぼ地上から抹殺された例もある。新しい植民地で主に砂糖キビ栽培に従事させる労働力を確保するために確立された奴隷制は、ほとんどがアフリカ系の人びとの犠牲によって支えられた。アフリカ大陸では、アフリカ人が同じアフリカ人を奴隷として売る市場を築いた。ヨーロッパ人がその市場の繁栄を助け、利用した。ポルトガル、スペイン、フランス、オランダ、デンマークなどが、広範囲にわたってカリブ海域での土地の獲得と奴隷の売買で競い合った。
舞台は主にアフリカの大西洋沿岸地域、ヨーロッパのいくつかの港町(最大の奴隷市場はフランスのナントとイギリスのリバプールなど)、そしてカリブ諸島であった。奴隷たちは主に、西アフリカの現在のセネガル、ベニン、コートジボアール、ガーナ、ナイジェリア、コンゴ、アンゴラなどにかけての地域を故郷とする多数の部族から集められた。
カリブの人びとは五百年近くの年月を、悲劇的な状況の中で過ごしてきた。奴隷解放後だけを考えても、すでに百五十年の歳月が経つ。しかしカリブの島々は、現代に至るまで、宗主国との関係、独立運動、独立後の旧宗主国との関係のほか、世界情勢の中での自らの位置付け等々をめぐって、苦難と混乱の道を歩いている。

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