「アウシュヴィッツは終わらない」 プリーモ・レーヴィ

本の話

暖かな家で
何ごともなく生きているきみたちよ
家に帰れば
熱い食事と友人の顔が見られるきみたちよ。

これが人間か、考えてほしい
泥にまみれて働き
平和を知らず
パンのかけらを争い
他人がうなずくだけで死に追いやられるものが。
これが女か、考えてほしい
髪は刈られ、名はなく
すべてを忘れ
目を虚ろ、体の芯は
冬の蛙のように冷えきっているものが。

考えてほしい、こうした事実があったことを。
これは命令だ。
心に刻んでいてほしい
家にいても、外に出ていても
目覚めていても、寝ていても。
そして子供たちに話してやってほしい。

さもなくば、家は壊れ
病が体を麻痺させ
子供たちは顔をそむけるだろう。

本書はアウシュヴィッツ収容所からの帰還者が描いた作品としては、フランクリン「夜と霧」、ヴィーゼル「夜」と並ぶもの。原題は上記の詩からとった「これが人間か」。日本語訳は、1976年に出版された学生版に基づいている。そのため、「若者たちに」と「若い読者に答える」が初版から付け加えられている。著者のプリーモ・レーヴィは1987年4月に自殺している。自殺にアウシュヴィッツの経験がどのように影響したのかわからないらしい。

本書を購入してから随分時間が経ってからようやく読むことができた。本書を読んでいる時、以前に読んだことがあるような感じがしたのは、様々な本に本書が引用されているせいなのか、実際に読んだせいなのか記憶が判然としなかった。レーヴィがアウシュヴィッツ収容所に送られたのが1943年12月で、1945年1月ソ連軍によって解放され、イタリアに帰国したのは10月だった。色々な偶然が重なり生還できたとレーヴィは述べている。収容所の生活が余計な感情を交えずに淡々とした文体で書かれているのは、レーヴィが化学者だったせいかもしれない。

ドストエフスキーの「死の家の記録」には出所という希望があるが、アウシュヴィッツ収容所には絶望しかなく、外に出られるのは煙となってからしかない。レーヴィは本書により作家として認められたが、出版後も塗料会社に勤め続けた。解放後東欧を10ヶ月間放浪したことについては「休戦」に描かれている。最も印象に残ったのは「10日間の物語」の章だった。自らの記憶を残し、経験を他者に伝えることの難しさが付録「若い読者に答える」からうかがえる。今年はアウシュヴィッツ収容所の解放から70年ということで式典が行われた。アウシュヴィッツはまだ終わらないのかもしれない。

 分からない点が多かったラーゲルの生活とは、いままで語ってきたような生活だ。これからも述べられるような生活だ。同時代の多くの人間が、こうして地獄の底に落とされて、つらい生き方をした。だが一人一人の時間は比較的短かった。そこでこういう疑問が湧いてくることだろう。この異常な状態に何か記録を残す意味があるだろうか、それは正しいことなのだろうか、という疑問が。
これには、その通りと答えておきたい。人間の体験はどんなものであっても、意味のない、分析にあたいしないものはない、そしていま語っているこの特殊な世界からも、前向きではないにしろ、根本的な意味を引き出せる、と私たちは信じている。ラーゲルが巨大な生物学的社会的体験でもあったことを、それも顕著な例であったことを、みなに考えてもらいたいのだ。
年齢、境遇、生まれ、言葉、文化、風習が違う人々が何万人となく鉄条網の中に閉じこめられ、必要条件がすべて満たされない、隅々まで管理された、変化のない、まったく同じ生活体制に従属させられるのだ。たとえば人間が野獣化して生存競争をする時、何が先天的で何が楽天的か確かめる実験装置があるとしても、このラーゲルの生活のほうがはるかに厳しいのだ。

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