「わが生涯のすべて」 マリオ・ジャコメッリ

本の話

本書はマリオ・ジャコメッリの死の直前に、姪にあたる編者が長時間インタビューしたものに、1993年のインタビューを適宜加えて一冊に纏めたもの。本書には写真の掲載が少なく、ジャコメッリが語っている当該の写真がなくわかりにくいところがあった。もう少し図版を増やしてもよかったのではないかと思う。

管理人が初めてマリオ・ジャコメッリの写真をまとめて見たのは「知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展」だった。その時、印象に残ったのは白い雪の上で遊ぶ黒い服を着た神学生達の写真だった。本書を読む前、神学生の写真についてジャコメッリはどう語っているのかと楽しみしていたのだけれども、この連作についてはジャコメッリの言葉はなかった。そのかわり、モデルとなった神学生のインタビューが載っており。あの写真は演出でジャコメッリに頼まれて雪の上で遊んだとあった。そのことをジャコメッリが気にしており、何も語らなかったようだ。管理人は神学生達が遊んでいるのをスナップしたものとずっと思い込んでいた。

マリオ・ジャコメッリは写真が本業ではなく、日曜日に写真を撮影する所謂「日曜写真家」だった。本人は「わたしは写真家ではありません。カメラを駆使するひとりの人間です」と本書と語っているけど。本書ではジャコメッリの思い出話が多く、写真について直接語ることは少ない。詩の選らびかたについても、どうしてその詩を取り上げたのかが管理人にはよく分からなかった。作品について語ってもつかみどころがないというか茫漠とした印象が残った。撮影技術やプリント制作の技術的なことは殆ど語っていない。難しい言葉はないのだが、読むのに苦労した本だった。

 そんなわけですから、つまり、技術に関してはわたしは何一つ知らないのです。知っていることといえば、自分の目の前、あるいは自分の内部で何かが起っているといこと。それなのに、それを留めおく術をもちあわせていないということ。でも、わたしの手に託されたこのカメラを使えば、その何かを写真として留めることができるということです。写真を撮るのはすごく簡単ですからね!難しいことは何一つありません。あれこれ考えすぎないことですね。
外を見て、内を見て、シャッターを切り、自分の感じたものが再現されるのを待つんです。さっきの話に出た吸取紙みたいに、魔術的な瞬間を、人生の幸せな時を記憶に留めるために。rnだから、写真というのは感覚のイメージなんです。現実に起った忘れたくない何か、過去について語ってくれる何かを記憶のために盗むのに似ています。過去の話をするのはまったく趣味ではないですが、過去がなければ今の自分がないというのも事実で、さらにその先には未来が待っています。だから、わたしにとって写真は、この瞬間を生きるため、とことん生き抜くために必要なんです。時間を過ぎ去るままにしておく代わりに、感光紙を使うのです。するとそれは、その翌日にも、そのまた次の日にも、見たければ他のひとも、見ることができるようになります。見たければ、の話ですがね。

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