「『昭和』を送る」 中井久夫

本の話

本書は精神科医の中井久夫さんの久々のエッセイ集。書名になっている”「昭和」を送る”は昭和天皇逝去直後に書かれたもので、エッセイ集への収録を断り続け、今回初めて収録された。その他のエッセイは最近のものが収録されている。

本書には東日本大震災についてのエッセイが多い。著者が関わった阪神淡路大震災との比較で情報やリーダーシップを論じているものは説得力がある。著者の阪神淡路大震災時のノートに「情報は時遅れ」、「時々刻々変わるものである」とあり「情報は権力」、とあるそうだ。東日本大震災時、原子力発電所事故関連の政府発表が遅くわかりにくかった。「ただちに健康に害がありません」と官房長官が強調して、「何が安全なのか」ということがはっきりしなかった。情報の受け手が後になるほど権力が広く深い影響力を持ち、政治的考慮が加わると著者は述べている。そのため、発表がわかりにくいのは情報に修正と補填が起こっているいるからである。

震災関連以外では「笑いの生物学を試みる」が面白かった。ヒトは感覚が他の哺乳類の数万分の一ぐらいの鈍感さだそうだ。それは人間の複雑さと不安定さのためだった。著者は言語の機能のひとつに感覚の減圧をあげている。笑い茸を食べて最初に起こるのが絶望で、その絶望が極みに達するかと思えるとき小さい笑いが出て笑いが止まらなくなるそうだ。それと似た経験がポール・ヴァレリーにもあった。絶望のどん底の瞬間の笑いは緊急の危機管理システムの作動ということらしい。この笑いがなければ人間は異常を来すことになる。

 人間になぜ笑いが必要であるか。一言にしていえば、人間の複雑性である。そのために言語を発達させて感覚を抑圧し葛藤を表現したのであるが、言語にも弊害があって、それを含めての解毒剤である。試みに、座談会の(笑い)を言語で置き換えようとすれば、長文を必要とし、結果は白けるだけであろう。言語と笑いとはいわば同格である。
言語と笑いは同格と言った。しかし、言語なくして笑いはありうるが、笑いなくして言語はありうるだろうか。笑いというのが狭ければ、抑揚をはじめてとして言語がまとっている情的なものをひっくるめていおうか。それらは言語の単なる包装紙ではない。私の尊敬する神経心理学者・山鳥重氏は、知情意というが、情知意であり、知と意とは情の大海に浮かぶ船、中で泳ぐ魚にすぎないと言っておられる。
残念ながら、ヒトのような複雑で不安定な生物がいつまで生き残れるかどうか、私にはわからない。しかし、「絶望の虚妄なるは希望のそれに等しい」(魯迅)。ルターは「明日世界が終わろうとも今日私はリンゴの木を植える」と言った。それに「良質の笑いを以て」と言い添えて、この稿を終える。

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