「国会事故調報告書」 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会

本の話

日本原子力発電の半期報告で、発電量0でも電力の販売先の電力会社から「基本料金」が入り税引き後利益が209億円だったらしい。日本原子力発電の敦賀原発2号機は直下に活断層があるということで再稼働はもちろんのこと廃炉の可能性が高くなっている。このように原子力発電に関しては摩訶不思議なことが多い。

本書は、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法に基づく、国会における第三者機関による事故調査の報告書である。憲政史上初の試みと「はじめ」にある。福島原子力発電所事故の調査報告書は、今のところ民間、政府、東電、国会とある。取りあえず入手し易い本書を読んでみた。この手の報告書はあまり読んだことがないせいか、読むのに時間がかかった。

東電の言い分としては「できる限りの安全策を施していたが、想定外の津波により全交流電源喪失した」ための事故となるらしい。福島第一原子力発電所の地震・津波に対する脆弱性は、事故前から指摘されてきたが、対策は先送りにされてきた。原子力発電所は安全で地震による複合災害は起こらないという考えが前提となっているため、安全対策を実施するというのは論理的に矛盾することになるかららしい。事故後の避難地域指示の混乱も「想定外」というよりも考慮の範疇に入っていないのが原因だと思われる。原子炉の現場検証ができないため、本当の意味での事故原因の究明はできない。保安院や原子力安全委員会も規制する機関として機能していたとは思われない。危機管理体制の責任の所在も曖昧だったようだ。

 日本においては、産業、政策、専門知識、どの側面を取っても事業者が管理する原子炉を抜きに語ることは不可能であり、既設炉の停止は、「原子力業界」に関わりを持つすべての者にとって、その存在意義を脅かす事象である。つまり、日本の原子力業界は、規制する側も、客観的な知見を提示する役目の有識者でさえも、ほとんど全てのプレーヤーが既設炉に依存していたわけであり、独立性と専門能力を両立させることが極めて難しい「一蓮托生」の構造になっていた。このような構造から、原子力業界ではいつしか暗黙の了解として、「不作為から事故を起こす責任」よりも「潜在的な事故リスクを避けるために既設炉を停止させる責任」の方が重く受け止められ、忌避されるようになった。
こうして事業者も規制側も、既設炉を稼働させ続けるために「原発は安全でなければならない」ということを至上命題とするのではなく、既設炉への影響を遮断するために「原発はもともと安全である」と主張して、事故リスクに関する指摘や新知見を葬り去ってきたわけで、こうした考え方が今回の事故を招いたということができる。

福島第一原子力発電所事故の処理は、100年単位の事業となるだろうと言われている。「喉もと過ぎれば」とならないように記憶しておきたい。

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