「瓦礫の下から唄が聴こえる」 佐々木幹郎

本の話

本書は浅間山麓の山小屋で週末を過ごす詩人の山小屋便りのエッセイ集。今回は東日本大震災前後のエッセイが纏められており、その前後で文章の色合いが違っているのが印象的だった。詩人は震災後、車で被災地に訪れたり、二代目高橋竹山と一緒に三味線演奏と詩の朗読で東北を巡る。本書で使われている写真は詩人が撮影したもの。

「お墓にひなんします」と遺書を書いて自殺した福島県南相馬市の緊急避難準備区域に住んでいたおばあさんの話が2度取り上げられている。今読んでいる本でも同じ話が紹介されていた。毎日新聞の記事にあったそうだ。管理人はそのときその記事に気がつかなかった。遺書にある避難という言葉は、危険から脱するという意味ではなく、辛さの象徴として使われており、「お墓にひなんします」というのは彼女のジョークのように聞こえてくると詩人は書いている。

 たいちょうくずし入院させられてけんこうになり二ヶ月せわになり 5月3日家に帰った ひとりで一ヶ月位いた 毎日テレビで原発のニュースみてるといつよくなるかわからないやうだ またひなんするやうになったら老人はあしでまといになるから 家の家ぞくは6月6日に帰ってきましたので私も安心しました 毎日原発のことばかりでいきたここちしません こうするよりしかたありません さようなら 私はお墓にひなんします ごめんなさい

震災前と後では何が変わったのか。今度の衆議院選挙では空気を読むひとたちが政党間を右往左往し、いろいろな政党が乱立している。次の政権交代では、エネルギー政策が変わり原子力発電はなくならない可能性が高い。

 東日本大震災の以前と以後で何が変わったか。
詩歌に関して言えば、絶えず言葉が試され続けているということだ。詩や歌を書いても、書かなくてもいい。ただ、表現者の位置に立つ限り、言葉は試されている。
わたしたちは何に試されているのか。過去から、未来からだ。現在、この国に浮かぶ膨大な死者の霊に試されている。これから生まれてくる子どもたちに試されている。このことの実感を持つかどうか、そのことも試されている。

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