「写真講義」 ルイジ・ギッリ

本の話

本書はイタリアの写真家ルイジ・ギッリが1989年から1990年まで大学で行った講義の記録。録音を時系列に沿って書き起こし、口語体のままである。講義で使われた写真もほぼ全て掲載されている。最後のレコードジャケットについては掲載されていないものが多い。ルイジ・ギッリは1992年49歳で亡くなっているので、本書は最後の授業の記録となった。

管理人はルイジ・ギッリの名を知ったのは、岡田温司さんのモランディの本を読んだ時だった。モランディのアトリエを撮影した写真は、まるでモランディが写真を撮影したような感じだった。須賀敦子全集の表紙にルイジ・ギッリの写真が使われており、多分ルイジ・ギッリの写真はイタリアのイメージにふさわしいのだろう。モランディのアトリエ以外の写真はみたことがなかったが、今回本書の図版でいろいろな写真を見ることができた。

 写真は本質的に二つのことから成り立っています。まずは、イメージに何を収めるのか分かるようになること。これは基本中の基本です。次に、切り取られた外部世界-光、空間、瞬間との関係性によって切り取るのですが-に、どのような伝達価値を与えるかということです。それには敷居の形態と写真のフォーマットという二つの問題があります。十九世紀には、現在のような規格化されたフォーマットというのではなく、円形や楕円などもよくあり、世界の一部を正しく表現するためのフォーマット選びはさまざまに解決されてきました。ここでもまたフレーミングの問題が関わってきます。つまり、見せるべきものと見せるべきではないもの、もっと言えば、消すべきものの問題です。消すというのは、写真のすべてにおいて中心的問題なのです。私からすると、この問題は少なくともある部分では、敷居の問題や世界に近づく問題。つまり、外部世界に目を向けその見方を決めることより重要に思われます。

11時から15時の間は撮影をしないと本書で書かれていたとおり、ルイジ・ギッリの写真は柔らかい光で、低コントラストの淡いトーンのカラー写真が多い。管理人が撮る写真とは正反対のような写真。使っているカメラはペンタックス67やペンタックス645の中判が多いということだ。。ストロボを使った写真もない。本書を読んで写真が上手くなるとか撮影技術が向上するといったノウハウが書かれているわけではない。写真で何か表現しようする人にはヒントがたくさんあるような気がする。最後の章のレコードジャケットについての記述は懐かしかった。

 写真を撮るとき、私はたいてい極端に光の差がないコンパクトな範囲を選ぶようにしています。写真とはものごとを明らかにする、ものごとに光を当てて見えるようにする表現だと私は確信しています。写真の本質は光で書くことですから、その基本は光とともに仕事をすること、光について繊細な感性を働かせることです。私はなるべく写真内の情報が同質になるようにしています。この同質の情報というのは、先ほど産業写真について話したときに出た均質さとは違うものです。私が言いたいのは、写真に写っているものごとの情報が同質だということです。情報が同質であることにより、フレーム内に切り取られたすべてのものを見ることができ、現実、つまり表現のさまざまな価値を知ることができます。

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