「美術、応答せよ!」 森村泰昌

本の話

本書は、美術についての疑問・質問をいろいろな人から募り、それを著者が答える問答集。質問者には、哲学者の鷲田清一さんから小学生まで様々な人達がいる。ギャラリスト小山さんに対する回答は、ほかの人とはちょっと違った感じで厳しいものがあった。

森村さんがゴッホに扮したセルフポートレートを最初に観たとき、なんなんだろうこの人はと思った。このときはまだ森村さんは写真家だと管理人は思っていた。ゴッホのほかにも次々と絵画の中の人に扮して作品を発表し続けて、ただものじゃないなと思ったら、森村さんは写真家ではなく美術家になっていた。たまたま訪れた京都で森村さんの個展があり覗いてみたら、作品を観てクスクス笑っている若い人がいて、国立美術館で笑いがおこるとはますますただものじゃないと感心してしまった。

「なにものかへのレクイエム-烈火の季節」で三島由紀夫に扮したビデオを観たときには笑うどころではなかった。蹶起を促しても、呼応するする自衛隊員はおらず、それでもなお演説を続ける三島由起夫の孤立感。三島に扮する森村さんは、三島本人が憑依したんじゃないかと思わせるものだった。最後、演説を誰も聴いていない公園の様子が映し出されて作品は終わる。管理人は、リアルタイムで自決事件をニュースで見たが、子供ながらも演説をする三島由紀夫とそれを眺めている自衛隊員との著しいギャップを覚えている。あの日の自衛隊員たちの白けた様子は何だったろう。

「表現者として震災に向き合うのは可能でしょうか?」という質問に対して、著者は次のように答えている。

 重要なのは、日本国民全体が「がんばれニッポン」などというキャッチフレーズを謳いあげるときに、芸術家もそれに合わせて唱和するというような馬鹿なことはやめたほうがいいということです。だって、みんなで同じ絵を描くなんて、いっぱしの画家がやることではない。それぞれに違った絵を描くから絵はおもしろい。被災地に行くか行かないかではなく、今の世のなかの趨勢はどういう方向に流れているかと注意深く観察し、ならば自分はいかなる選択をすべきかと想像をたくましくすることが重要である。百人の芸術家がいたら百種類の表現がある。これは健全です。みんな同じというのは不健全です。「違いのわかる芸術家」。これが私の理想なのかもしれません。

「私も画家になれたでしょうか」という質問に対しては、著者は次のように答えている。

 私は次のようにとらえたい。絵を続けられるかどうかは、才能があるかどうかではなく、絵を描くことに切実感があるかどうかにかかっていると。大げさに言うなら、それが人間として生きるうえでの最後の砦かどうかです。つまりそれ(絵を描くこと、美術に関わること)にしがみついてでも生きていきたいという強い意志があるかどうかが決め手です。
 これも多少おおげさな話になりますが、「戦禍のなかで」、「被災地で」、「恋愛関係のもつれから」、「生活費を稼ぐために」、「子育てに」、「介護に」と、いろいろな場所で命がけで生きている無数の人々がいます。たかが絵ではありますが、やっぱり絵を描くことに命がかかっている人が絵を描くべきでしょう。そうでなければ、すべての命がけで生きている人々に対して申しわけがたちません。

最後の「芸術に外部といったものはあるのでしょうか?」という質問に対しては、著者は次のように答えている。

 父親のカメラに始まり、フジペットやオリンパスペンを経てニコマートにいたるまで、私にとって写真とは、「おもしろい」か「おもしろくない」かという分類とは無関係な、むしろ子ども時代の昆虫採集と同じ、「時間」と「私」のスパークがもたらすキラメキそのものだった。「時間」と「私」が同時に輝き、その輝きによって、「私」の存在の証が確かめられる。もともと写真とは、そういうあまりにも「私」的な「時間」との感応であり、戯れだったはずなんです。
 なにを言いたいか、これ以上の説明はもう不要かと思います。鷲田さんがおっしゃるとおり、芸術の「外」にこそ、いや芸術の「外」と「内」という分類にいたる以前の、いわば「芸術紀元前」の、ある日、ある時、ある場所、言いかえるなら時間の輝きに私自身の存在を重ね合わせることができたあの日、あの時、あの場所での出来事を取り戻すことこそ、今私がもっとも希求する表現のあるべき姿なのです。

「私も画家になれたでしょうか」の回答を読んで、管理人はガツンと鈍器で殴られたような感じがした。言葉の印象は柔らかなのに著者は鋭く厳しいことを述べている。著者がアーティスティック・ディレクターを務める「ヨコハマトリエンナーレ2014」が8月から始まるので見に行こうと思う。

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