「ニッポン周遊記」 池内紀

本の話

本書は季刊「観光文化」(公益財団法人日本交通公社)に連載中の「あの町この町」から30篇を収録した紀行エッセイ集。「観光文化」web上で比較的最近の「あの町この町」を読むことができる。観光文化についての調査研究の成果を掲載する機関誌ということで、管理人は今回初めてその存在を知った。その業界に無縁だと業界誌も読むことがないと思う。

本書で著者が訪れるのは、観光地としては知られていない町が多く、管理人が行ったことがあるのは沖縄・金武町と長野・大町市だけ。長野・大町市は登山へ行く途中に立ち寄っただけだった。北海道・森町は列車で通過したことがあるが、町を訪れたことがまだない。訪れる町をどのようにして選んでいるのか、本書を読んでいて分からなかった。本書の帯には「日本文化の重層性を再確認する旅へ誘う」とあるが、余計に分からなくなる。

沖縄県・金武町の章では、當山久三という人を取り上げている。管理人が金武町に行ったときには、當山久三の像には気が付かなかった。管理人が行ったのは「新開地」で、昼間は人通りもなく静かな町だった。道路を挟んだ向かいはキャンプハンセンで、自動小銃を持った米兵がゲートの前に立っていた。記念館もあったらしいが、今は物置になっている状態だそうだ。當山久三は沖縄のおかれている格差と差別が政治経済ばかりではなく、あらゆる面に及んでいると痛感し、同士をつのり、県政批判、抗議運動、中央への請願を推し進めた。その後県議会議員に当選し、民衆運動を指導した。その運動のなかで、日本政府の沖縄差別は永久にかわらない、それならば島を捨て、新天地に自分たちの町をつくろうと當山久三は移民団を結成する。その時のキャッチフレーズが「いざ行かむ 我等が家は五大州」。ハワイで始まった移民団は、アメリカ、南米、南洋諸島へと広がった。しかしながら、當山久三は明治43年に43歳で死去する。

 いつ、どうして知ったのか思いだせないが、なぜか知っていて、どうしてか気になり、訪ねてみたいと思っていた。たいてい、わりと不便なところに位置しており、まず足の便を調べることから始まった。町のかたち、過去から現在までの歴史的蓄積、人々の暮らし方、そういったことを、おおよそのところ知っておく、その際、ネット情報といったものにたよらない。地図をよく見て、本を開いたり、事典にあたる。そこから必要と思うものを写しとる。自分で見つけた知識でないかぎり、情報をかき集めても何の役にも立たないものだ。
地方都市、農山村の疲弊ぶりがよくいわれる。中心部がそっくりシャッター街で、目を覆いたくなるところもある。なぜそうなったのか、どうすればよかったのか、今後どうすればいいのか。島国ニッポンは豊穣な自然に恵まれ、エリアの中核となる都市は由緒ある歴史をもち、文化遺産、生活資産がどっさりある。甦りの手だてがないはずはない。

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