「町づくろいの思想」 森まゆみ

本の話

森さんのエッセイ集を久し振りに読んだ。ニュースサイトの連載が中心となっているのでとても読みやすく一気に読んでしまった。

東京で街の景観を守ることは難しい。アッジェが撮影したパリは今でも同じ街並みが残っているところが多い。それにたいして、東京は関東大震災と太平洋戦争による空襲で江戸・明治の建物で現存しているものは少ない。「東京はいつも普請中」なので、ちょっと行かないと街並みがすっかり変わって「ここはどこ?」となってしまうことも稀ではない。高層マンションの広告コピーに「歴史情緒に憩う谷根千の丘」「あの頃好きだった東京が今もこの街にはある」とあるのは冗談なのか、皮肉なのかよくわからない。

本書を読んで『谷中・根津・千駄木』が終刊となったことを知った。売り上げよりも経費のほうが上まり、編集よりも市民活動や来客の相手をする時間が増え、坂の多い町で300を超える委託店への配達もこたえたと終刊の理由を著者は書いている。森まゆみさんのことを知ったのは、『谷中・根津・千駄木』の聞き書きからだった。

 古本屋の友だちがいうに「雑誌は時代を映す鏡。終刊になると今度は研究対象になる」。私はこの仕事で人の話を聞く楽しさ、それを活字で残す大切さに目覚めた。それが世代をつなぎ、記憶を継承するということだ。とはいえ私一人でできることは限られている。みんな自分の身の回りにいる人の話を聞き、記憶を記録に換えてはくれないか。「一人の老人が死ぬのは一つの図書館がなくなること」というではないか。

東京スカイツリーが建設されて、管理人が一番驚いたのは駅名が「業平橋」から「東京スカイツリー」に変わったこと。「伊勢物語」に由来する由緒ある駅名を変更して、下町情緒を云々と宣伝するのは違和感がある。あれだけ観光客が急増すると地元のひとは大変だと思う。根津、佃島、月島、神楽坂など「下町情緒のあるまち」ではカメラを持って平気で民家の中に入り撮影するひとが増え、撮影禁止とか撮影お断りの貼り紙が増えた。

 スカイツリーはエネルギー多消費型の生活から何も出ていない。テレビによって一億総白痴化するといったのは評論家の故・大宅壮一だが、新タワーは多チャンネル化に対応し、携帯へもテレビ画像を提供し、タクシー無線の集中基地にもなるという。私のような電磁波過敏症には空恐ろしい話である。夜間のライトアップはいま過酷な原発事故を反省し、できるだけ節電しようとしている国民の努力と逆行する。私は企業戦略が、自治体や商店街の町作り戦略が、原発事故前とまるで変わらないことに驚いている。

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