「望郷と海」 石原吉郎

本の話

僕はなお生きようとしている。それが今朝の僕の実感だ。
そして、そのことを宣言すること、それが僕の詩の意味だ。
言葉は厳密にもちいねばならぬ。
詩を書くことが生きることへの確証であるなら。

本書は、著者の8年間にわたるシベリア抑留体験記と帰国後に書かれた評論、創作、ノート、手紙を纏めたもの。「望郷と海」は絶版状態だったが、みすず書房から<始まりの本>の一冊として復刊された。「詩人石原吉郎」の名前は知っていたが著作を読んだのは本書が初めて。読むのに時間がかかったのは、著者の絶望と孤独は深く、読み進めるうちにこちらの気持ちも落ち込んでしまったためだった。高杉一郎さんのシベリア抑留関連の著作を読んでもこれ程までに暗澹たる気持ちにはならなかった。

戦争責任を具体的に担ってきたという自恃を持った著者が帰国しても、著者たちが果たした<責任>や<義務>を認めるひとはおらず、「シベリヤ帰り」ということであらゆる職場から閉め出される。それでも著者は被害的発想と告発の姿勢から離脱するという課題を自己に課した。「饒舌のなかには言葉はない。言葉は忍耐をもっておのれの内側へささえなければ」ならぬ」という認識によって著者は沈黙にたどり着く。沈黙の詩人とは、言葉の矛盾のように思える。しかしながら、詩における言葉は沈黙を語るためのことば、沈黙するためのことばであるといってもよいと著者は述べている。

 告発しないという決意によって、詩に近づいたということですが、これも、今いった詩を選んだ動機に、ある意味ではつながると思います。八年の間見てきたもの、感じとったものを要約して私が得たものは、政治というものに対する徹底的な不信です。政治には非常に関心がありますけれども、それははっきりした反政治的な姿勢からです。人間が告発する場合には、政治の場でしか告発できないと考えるから、告発を拒否するわけです。それともう一つ、集団を信じないという立場があります。集団にはつねに告発があるが、単独な人間には告発はありえないと私は考えます。人間は告発することによって、自分の立場を最終的に救うことはできないというのが私の一貫した考え方です。人間が単独者として真剣に自立するためには告発しないという決意をもたなければならないと私は思っています。

そして、告発しないことを決めた者が、その立場に居続けようとするとき、初めてその告発に真剣な表現と内容が与えられる。それは沈黙した怒りというより深淵な悲しみで、この悲しみこそ信じるに値すると著者は考える。

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